平等院雲中供養菩薩像(南20号)の構造技法の研究および現状模刻
2019年度修士課程2年 中村美緒

はじめに
この御像は、京都府宇治市の平等院鳳凰堂に安置されている、52軀の菩薩像のうちの1軀です。造られたのは天喜元年(1053)、藤原頼通が栄華を極めていた時代です。鳳凰堂(阿弥陀堂)の長押上の小壁に懸けならべられ、本尊である阿弥陀如来像を美しく囲んでいます。このたび平等院様にご許可を頂き、模刻制作に挑みました。
原本像のデータ
文化財指定種別:国宝(1955年指定)
大きさ(cm):総高77.3 像高62.4 最大幅61.2 最大厚13.3

平等院鳳凰堂(阿弥陀堂)
像の構造
制作にあたり、まず御像の構造を調査したところ、素材はヒノキ材で、いくつかのブロックを組み合わせた寄木造でした。表面には彩色と漆箔が施され、頭部と体幹部は別々の木材から彫り出されています。頭部は木芯を正面前方に外した木材から造り、耳の後ろで前後に割矧いで内刳りを施したうえ、首の下あたりで胴体に挿し込んでいます。また、胴体は足下の雲を含め、木芯を背面後ろに外した1本の木材から彫り出しています。
彫りやすくするためか、像のいろいろなところを割矧ぎ、両腕はそれぞれ数パーツに分けて造られています。
■割矧ぎとは
おおよその形を彫り出したところで斧などで割り放し、内刳り等を行なってからまた元に戻す技法。ヒノキのような割りやすい木材を用いるときれいに割ることができる。

構造図(網掛部は後補)
保存状態
長い年月を経るなかで、いくつかの部分は後の時代に補われた部材に替わっています(=後補)。両腕とも手首から先は後補で、冠紐、右の耳たぶ、、左つま先、垂れ下がった天衣、雲の尾はいずれも後の時代のものです。また彩色、漆層のほとんどが剥がれ落ちています。
実際の制作工程
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割矧ぎ

内刳り

頭部の制作

部材の接合前

木地が仕上がった状態

石膏像と見比べながらの作業


古色を施して完成
模刻制作をおこなって
今回の模刻制作では、基準となる底面のない像の模刻だったため、的確な基準を決めて作業を進めることが重要でした。そのため、基準面になるよう雲の部分を完成間近まで残しておき、誤差が最小限になるように心がけました。
この御像は一見すると、立体感にあふれたふくよかな印象を受けます。しかし、実際に彫ってみると起伏が小さくとても抑制された造形であることが分かります。もともと長押上の壁面に懸けることが想定されているため、前後の厚みという制約の中で最大限、立体的に見せる工夫がなされた造形であることが感じられました。
また、本像に施されている割矧ぎ面を3Dデータ上で検討したところ、平面ではなく曲面になっていることが分かりました。これを再現するため、丸鑿を使って矧ぎ面が曲面となるよう割矧ぎを行いました。

構造図(上からみたもの)
この割矧ぎは、右足やその下の雲の突起部分を避けて施されていることが分かりました。模刻では、右足下に割れ目が到達した時点で、その部分に鑿を入れることで割れ目の方向の操作を行うことにより、実物とほぼ同じの割矧ぎを再現することができました。
また本像には、頭部を胴体を別々の材から造り、胴体にさしこむ、いわゆる「挿首」の技法が用いられています。この技法は、平安時代にはあまり用いられない技法ですが、雲中供養菩薩像群においては多く使われています。これは、胴体に対する頭の向きを自由に調整しながら自然な造形を追求し、かつそれを合理的に行えるように用いられた技法ではないかと、模刻制作を通して感じました。
最後になりましたが、本調査に際して、模刻研究をご快諾くださいました平等院御住職 神居文彰様をはじめ、ご指導ご協力を頂きました皆様に心より御礼申し上げます。
なお、本研究は公益財団法人仏教伝道協会の助成金を頂きました。重ねてお礼申し上げます。
参考文献
水野敬三郎『日本彫刻史基礎資料集成 平安時代造像銘記篇 第7巻』中央公論美術出版、1968年。
西川新次『平等院大観第二巻 彫刻』岩波書店、1987年。
村上清「平等院雲中供養菩薩像模刻制作研究」(『創刊号 鳳翔学叢』)平等院、2004年。
和澄浩介「平等院雲中供養菩薩像にみる定朝工房の諸相」(『仏教美術305号』)毎日新聞社、2009年。
